昨日(6月10日)、朝早く目覚めた。寝たのが22時ぐらいで早かったので、4時30分ぐらいに起きた。午後から予定はあったけど、どうしようかなと思い「旅する日曜美術館」を買っていたことを思い出した。前に読んで付箋をつけていて、教会式の建物が美しいなと思った「碌山美術館」に行こうと思い立ち、車で向かった。(読み方は「ろくざん」)
東京から車で片道3時間ほどの距離だった。高井戸インターチェンジから高速に乗った。最初はちょっとだけ込んでいたけど河口湖・山梨湖方面に分岐する大月ジャンクションからは空いていた。天気も思っていたより良くて、青い空を眺めながら気持ちよく運転できた。当初想定した通りの時間にも到着できた。
碌山美術館は道路の向かい側に駐車場がある。数十台は駐車できるだろう。東京方面からだと、おそらく線路を越えたすぐ左側にある。開館するのが9時からで、9時10分ほどに着いたので駐車場も混んでいなかった。
入館料は大人一人で900円。受付とお土産店が一体になっている。碌山美術館は、日本の近代彫刻を代表する荻原守衛らの彫刻を有する美術館。守衛の号が碌山なので、碌山美術館という名前になっている。教科書でも見たことがある「女」(1910年)の彫像もある。
入管すると左側にまず最初の彫刻がある。荻原守衛の「労働者」(1909年)。力強い。働くことの苦難を想起させる。
そして木漏れび揺れる緑の奥に、キリスト教の聖堂のような碌山本館が佇んでいる。赤茶色の煉瓦。ドアノブは小さな鳥。建物に絡む蔦。しっかりと、根っこから存在していることが感じられる。ふっと吹いてもなくなることがなさそうな。そう、そんな感じ。
色々と作品はあったけど、一つだけ紹介。碌山本館にある「デスペア(絶望)」(1909年)。地面に突っ伏す裸体の女性の彫像だ。名前は忘れてしまったが、荻原は夫のいる女性に恋をした。そして、その女性は夫に不倫され苦しんでいる。その女性を作品にした。そんな説明だった。
愛している人が苦しんでいるけれども、助けることができない苦しみ。煩悶という言葉が付されていたけれども、まさにその通りだろう。ああ、どれだけ苦しかっただろうか。ああ、苦しかったんだろうな…と思いながら作品を見つめていた。そして、その苦しみを芸術作品に昇華させる、芸術家の偉大さ。
苦しみを見つめつづけて、苦しみのもとに向かって、一体この苦しみは何なのだろうかと、その問題に座りつづけること。苦しみを怒りとして表出するのではなく、言葉にできない苦しみを芸術作品に移しかえること。この精神の偉大さ。
作品を製作中は苦しさから解放されたのだろう。作品制作後には苦しさから解放されたのだろうか。キリスト教に救いを見出すことができたのだろうか。きっと、荻原は優しい人だったのだろう。そんなことを思っていた。
どこか忘れてしまったが碌山美術館には、「Love is art, Struggle is beauty」という言葉があったように思う。本当にその通りだろう。苦難はその時は辛いし、吐きたくなる。だけど逃げないで、正面から向き合い続ければ、いつか乗り越えることができる。そして人は成長する。その姿はまさに美そのものだろう。
同じ日に「安曇野ちひろ美術館」にも行った。雰囲気は違うけど、こちらの美術館も素敵だった。買うことなんか想像もしていなかった絵本を買うことになった。また別稿で紹介します。それでは。