小谷野敬一郎さん。静岡のガス会社の会長。
お会いしたこともないけど、この人の言葉に救われた。
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苦しかった時に救われた。愛とはなんだろうかと思っていたとき、なぜ愛することはこんなに苦しいのだろうかと思っていたときに、この人の言葉を見つけた。
愛があるから、哀しみに耐えられる。
http://www.t-koyano.jp/love1.html
愛があるから、我慢できる。
愛があるから、自分が保てる。
愛があるから、共感できる。
愛があるから、結束できる。
愛があるから、皆の思いをまとめられる。
愛があるから、心を一つにできる。
愛があるから、決断できる。
愛があるから、行動できる。
愛があるから、やり遂げられる。
愛があるから、大切なものを護れる。
愛があるから、共に生きられる。
愛があるから、自他共に許せる。
愛があるから、夢を実現できる。
愛があるから、幸せになれる。
結局、誰かを本当に愛することは、巡り巡って、自分のためになる。
人は人を愛するようにして、自分を愛する。
あれだけ、人を愛せた、そんな自分を愛することができるようになる。
どんなに苦しくても、愛し続けようとした、自分を愛することができるようになる。
人を愛したことがない人は、もしかすると、自分を愛することができないのかもしれない。
それはやっぱり悲しいことだ。やっぱり愛する人に出会えることは恩寵だ。
愛は快楽にあるわけではない。
http://www.t-koyano.jp/aibetu.html
生きることの摂理にこそ愛はある。
過ぎゆく時の一瞬の煌めきに永遠の愛を知る。
それこそが恍惚とした一時(ひととき)なのである。
愛は見返りを求めない。愛は何をも求めない。
愛を知らない人は、愛を知っている人の愛を理解できない。
愛を知らない人は、愛を受け取ることができない。
愛を知らない人は、愛を信じることができない。
愛を知らない人は、愛の言葉を知らない。
愛を知らない人は、愛が見返りを求めないことを知らない。
愛を知らない人は、愛が何も求めないことを知らない。
愛を知らない人は、自分が愛されていることを知らない。
愛を知らない人は、愛を知る人の泪が分からない。
それでも、愛を知る人は、愛を知らない人を愛する。
そこまで愛した時、人は、やっと、神の愛が何であったのかを知る。
神の無償の愛とはなんだったのかを、十字架の人が何をしようとしたのかを知る。
人は人の矩を超えて、誰かを愛そうとするときに、神の愛が何だったのかを知る。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
コリントの信徒への手紙1 13章4-7
小谷野さんのいうように、人は愛することで成長する。人は愛を知ることで大人になる。
人は皆、この言葉を理解できるように生きるべきだろう。そんな人生は生きるに値する。
人を愛したことがない人生は悲しいものだろう。本人は気がつくこともできない。
愛する人に出会えることは、かけがえのない、神からの贈り物だ。